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扇だこ
扇だことは?
川越を中心とした武蔵野一帯で広く普及した和凧で、江戸時代末~明治初年にかけてつくられ初めたと言わています。
扇だこの創始者は、現埼玉県富士見市上沢の大曽根龍蔵氏(明治43年没)です。
当初は扇だこのルーツと伝えられる「越後の盃凧」の製作しており、その後に扇だこを製作したと言われております。
また、扇の形で「末広がり」なので縁起物とされ、当時の選挙の時には紙に描いたこの扇だこを配ったりしたそうです。
今で言う選挙だるまの様な縁起物ですね。
最盛期には年間2万個製作!
初代大曽根龍蔵氏が扇だこの製作をし初め、2代目の福太郎氏が扇だこの最盛期でした。その頃では、1シーズンに2万個を越える扇だこを製作し、川越、飯能、青梅などの問屋へ卸していたと言われています。
そして町の雑貨屋などでつるされ、一つ7銭ほどで売られていたそうです。
その頃の制作は農業の副業として行われ、2~3月が竹割、4~10月が骨組み製作、11~1月が紙貼りと絵付けです。 こうした作業が農家の家で行われていましたが、絵を描くのは福太郎氏自身でした。
こうした「凧屋」は、大曽根家と川越の海老名家の2軒だったと言われています。
扇だこは今・・・
川越を中心に広く普及していた扇だこも、昭和に入り徐々に衰退をしていきます。そして戦後を境に売れなくなり、昭和27~28年頃に制作が途絶えてしまいました。
長らく途絶えていた扇だこは、昭和47年に愛好家が4年の調査をし、
3代目の技術伝承者である大曽根勝男氏が探し出されます。
そして昭和52年に大曽根勝男氏を中心となった「扇だこ保存会」が発足。
それをきっかけに富士見市市民に扇だこの存在が広まっていきました。
そして現在、4代目である大曽根力雄さんが1つ1つ手作業で製作をつづけられています。
また、「扇だこ保存会」は富士見市の難波田城資料館を中心に活動がおこなわれ、定期的に扇だこつくり教室などが催されています。
4代目 大曽根力雄さん
扇だこの特徴
扇だこは、真竹、小川和紙、麻でつくられ、墨と染料で絵が描かれます。
そんな扇だこの特徴の一つが、扇の左右につくられた風袋です。
この風袋があることで、弱い風でもユラリユラリと空にあがります。
もう一つの特徴は骨組みの「むすび」です。
扇だこを形作る合計10本の骨組みを、麻をつかって結んで接合していくのですが、その全18ヶ所の「むすび」は、それぞれの箇所に合った、それぞれ違う「むすび」方をします。
要するに、全18ヶ所の接合部分に対し、18通の結び方があるということです。
ちなみに、この「むすび」は縛るのではなく、麻を骨と骨の間に食い込ませます。